根無し草に根を生やす
移住を決めた直後から今日まで、たくさんの方から同じ質問が。
『なんで移住するの?したの?』と。
海外にいた頃から、アイデンティティとかナショナリティとかについてよく考えていて、その頃から、私の地元ってどこ?と思うことが良くあった。
例えば、地元を離れ下宿をしている大学の友達。地元がある、帰るところがあるっていいなと羨んでいた。
私が一番長く住んできたのは、神戸市。生まれた場所は、淡路島。
だけど神戸が本当の意味で地元という意識はあまりなく、かといって、出身地は神戸と言ってしまうのも何か嘘をついているようで違う。
というより、私には地元がない、というほうがしっくりくる。
こういうことを感じているひとは、世の中にかなり多いと思う。
じゃあ、私にとっての淡路島は何?
淡路島は私が生まれた場所。
それ以上でも、それ以下でもない。
淡路島には親戚もいるし、なんとなく知っているつもり。でも、実際にはよく知らないところ。
でも、それってなんだか悲しい感じがする。
淡路島にはもちろんよく来ていたけれど、親戚が集まっても、いつも私と兄だけローカルな会話についていけなくて、疎外感を感じていました。
しかも、子供の頃はまわりの淡路弁を時々理解できていなかった。笑
祖父と会話するときに至っては、親が間に入って通訳してもらっていた。
だからあまり好きではない部分も多かった。
時は過ぎ、明石海峡大橋が開通して十数年。
淡路島、いいよね!オススメのスポット教えて〜?と言われる機会も増え、
いや、観光で行ったことないから、わからないです〜すみません、と言う機会も同時に増えて。
何回も行ってるのに、淡路島のこと全然知らないなと気づいたのもここ数年。
自分のためにも、自分が生まれた場所=ルーツをもっと知ろう!と思ったことが一つのキッカケ。
話は逸れるけど、私は植物が好き。
よくよく観察していると、人間にも当てはまることをたくさん教えてくれる。
水をやり過ぎても、やらなさ過ぎてもダメとか。植物によって合う栽培法や環境がちがうとかね。
そして、人間も植物のように、まず地に根を張らないと、なかなか芽は出ないような気がしている。
アスファルトでは健全な根は生やせないんじゃないか、ということ。
実際、都会ではちゃんと地に足が着いてる?と思う人は多かった、今思えば。自分も含めて。
やり方(生き方)、環境を変えるって大事だなぁ。