はじまりの場所
先日、長い長い時を経て、はじまりの場所へ還りました。
高知県の西部、生見海岸。
いつもそうだったように、急かさせるように服を脱ぎ捨てて、体を伸ばしてストレッチして、駆け出すように日の出とともに海へ。
素足にまとう砂の感覚も、波の音も、遠くからセミの鳴き声も、泣きたいくらいにあの頃と同じ。
時間を忘れて、波を追うとても贅沢な時間でした。
ご縁があって、15歳の夏、泳げない高1女子は、はじめてここへ来ました。
沖へ出るのは、時にまるで格闘のようで、何度も何度も波にのまれて、方向を見失う。
穏やかな波待ちの時間が長く続くときもあれば、大きなセットの波が押し寄せることもある。
だけどその穏やかさと激しさのギャップがたまらなく、どちらも好きだった。
どういうわけか、私が波乗りに若くして出会ったのは、人生は、いつも穏やかだったり、いい波ばかりでもない、そんなもんだよって教えてくれるためだったのかもしれない。
波に乗るか乗らないかは自由。
大きな波のとき、海に入るか入らないかすら自由。
何度も打ちのめされて、やっとの思いで波に乗れたなら、その人にしか見られない景色が味わえる。
振り返ると、海は、自由な感覚、大きな世界観と広い視野も私に与えてくれたのかな、と思う。
大自然の中では、自分はあまりにも無力で、ちっぽけな自分の、ちっぽけな悩みなんてどうでもよくなって、みんなと笑い合い、いつもより何倍も美味しくご飯を食べる。
あの頃より体力は少しなくなったけど、いまもそれ変わらないな。
ありがとう。
だから私はきっとその数年後にハワイに居ることができたのだし、いまこうして私でいられるのだと思う。
この場所と、ここへ私を連れてきてくれたすべての人たちに愛と感謝を込めて。